カテゴリー別アーカイブ: 女医だった母が教えてくれたこと

”外来にいる患者の数を推測して診療のスピードを変えなさい”

私が医師になって5~6年めの頃、母親の診療所の外来を週1回手伝っていました。               当時はまだ若かったのでとにかく外来患者をバンバンこなすことがいいこと、できる医者だと思っていました。ですから、とにかくスピード感を持って外来をやっていました。

 

そんなとき母に注意されました。                                               「机の上にあるカルテの数を見れば、外来にどれほど患者さんがいるか想像つくでしょ。患者さんの数が多くて待たされていれば早くしてほしいと思うから、スピードを上げてもいい。3分診療と文句を言う人もいるかも知れないけど、混んでるんだから仕方がないと納得はしてくれる。でも、すいてるときにロクに話も聞いてくれないとなると人は不満に思う。世間話でもいいから時間をとってあげることが大切よ」と。

 

そしてもう一つ、経営の観点からも教えられました。                                             「初めて診療所に来た患者さんが入り口の扉を開けてみて、待っている患者さんが溢れていると待たされると思って別のところに行ってしまう。一方で誰もいないとここは流行っていないヤブ医者じゃないかと思ってやはり入ってこない。適度に外来が混雑していることが新しい患者さんを掴むコツよ」

医者で蔵は建たない

医学生時代に女医であった母親に言われた言葉だ。

蔵が建つほどお金が儲かる仕事ではないということだ。そして同時に                          「医者は一生勉強しなければならない。手にしたお金があったらそれを自分の勉強に投資しなさい」とも言われた。つまり、医者は世の中の仕事としては多少なりともお金にはなるだろうが、蔵がたってしまうとすれば、それはお金の使い方に問題があるということであろう。

要するに、患者のため、世の中のためを考えたら、お金が貯まるはずがないということだろう。                                                                できの悪い息子のことを金のかかる私立医大を卒業させたのも”世のための投資”だとすれば、その投資で医者になった小生はそれに恥じない仕事をしなければならないということである。

賛否はあるだろうが、高須クリニックの院長が最近、しきりに社会事業に投資、寄付しているのも「医者で蔵は建たない」という意味であったらと思ったりもするのである。

”聴診器はおまじない”

私の体型をご存知のかたにはとても信じられないことかもしれませんが、子供の頃は非常に病弱でよく風邪を引いたり、インフルエンザになったりして学校を休んでいました。そういった時に、医師であるはずの母は一度も私に聴診器を当ててくれたことがありませんでした。

そんなある日、また風邪を引いて学校を休むことになったのですが、母はまた聴診器を当てませんでした。そこで、「なんで聴診器を当ててくれないの?」と聞いてみると、彼女の答えはなんと 「ああ、聴診器はおまじない。だからあなたにはあてなくてもいいの」と!

私が医者になって一緒に働いていた頃に、この話を母にしたところ、「そんなこと言ったかなあ」と笑っていました。しかし同時に、「おまじないは言いすぎかもしれないけど、聴診器を当てる前に、患者さんの呼吸状態や顔色や訴えを聞けば、聴診器を当てる前にどんな音がするか想像できなくてはダメよ。」と。さらに「でも、だからといって聴診器を当てないのはダメ。患者さんは聴診器を当ててもらうことで安心するんだから」とも。

なるほどと感心させられましたが、結局私には聴診器を当ててもらわなかったなあとも(笑)まあ考えて見れば、私も患者さんには必ず聴診器を当てますが、自分の息子に聴診器を当てたことはないなあ

泣いている暇があったら考えなさい

女医であった母の涙を見たのは、40年近いつきあいの中でほんとに数えるほどでした。

彼女いわく「女医だからといって泣いているようじゃダメ。泣いて患者が助けられるならいくらでも泣くわ。」と。                                  泣いている暇があったら、どうやったら患者が助けられるかを考えなさい。という教えでした。

「泣く」という行為は、どうにもできない運命の中で自然に涙が出て泣くことはもちろんあります。しかし、思い返してみると、そういったことは本当に数えるほどです。多くは、自分の思い通りにならなかったり、だれかに助けを求めたくて「泣く」という行為が起きているのではないでしょうか。

プロフェッショナルとはなにか。 当院の行動指針では以下のように定めています。

プロフェッショナルとは、顧客に対して自分たちの提供サービスの責任をもつことである。そしてその責任を全うするために全力をつくすことである。

とはいうものの、実行することは決して容易なことではありません。日々こうありたいと思い、診療にあたっています。

”開業医の診療はザルの目の大きさが重要”

私の母はもともと小児科医でした。とはいうものの、昭和40年代のから50年代の田舎ではまだまだ開業医が足りないという事情もありましたから、専門の診療科だけを見ていれば良いなどという時代ではありませんでした。当時の実家の診療所には私の記憶では目を洗浄する器具やら、耳の中を見る道具など、内科や小児科以外のものがたくさんありました。                                           また、今で言う「家庭医」のような役割というのが当たり前でしたから、おじいちゃん、おばあちゃんから孫まで3世代すべてがかかりつけの患者さんなんていうこともよくあることでした。                                                         そんな中で母から教えられたことのひとつです。

開業医は”ザルの目”が肝心だと。                                                 儲けようと思ってザルの目を細かくするとザルの中には患者さんは貯まる。しかし、そうやって自分の専門分野以外や、専門分野でも開業医では難しい症例を抱え込むと必ず患者さんの命を危険に晒すことになると。一方で、心配だからといってザルの目を粗くして、あれもこれも病院やら専門家へ紹介してしまうと、ザルの中は空っぽになって生計が成り立たない。だから、”ザルの目が肝心”と。

そのザルの目を細かくするためには、無理なく患者さんを診るための知識や技術を身に付けるしかないのだと思います。そしてまた、自分自身の実力を良く知って、ザルの目を細かくするところと粗くするところのメリハリをしっかりつけることなのだと思います。

”症状は長く、余命は短く”

母のクリニックを手伝っていた頃の話です。

風邪の患者さんに「今日一日は熱が出ます。場合によっては明日も出るかもしれません」と説明しました。

その患者さんが診察室を出て行ったあとに、母から「あの説明は良くないわ。”熱は2日間出ます。”と言い切りなさい」と言われたことがあります。私は当然「2日間熱が出るとは限らないから言い切るのはどうかな」と言い返しました。 すると「2日間熱が出ると言われて、1日で下がった患者さんが怒ることはないでしょ。むしろ先生には2日出るって言われたけど1日で下がってよかったって思うはずよ。場合によっては先生の薬が効いたお陰って感謝されることもあるわ。でも、その逆に1日で下がるっていって、2日間熱が出たら患者は心配するし、薬が効いていないんじゃないか、医者がヤブなんじゃないかって思うわ」といわれたのです。つまり、その症状が1日で収まると思っても少し長めにいっておくことが大切だということでした。

でも、すべての症状や予測を長くいえばいいわけではありません。短く言うべきなのは「余命」です。あと1ヶ月の命と言っておきながら、1週間で亡くなってしまったら家族にとってはがっかりするばかりか、医者に対して不信感をもつ可能性もあります。

在宅医療では病院から末期癌の患者さんが紹介されてきますが、病院の先生からちょっと長めの余命宣告を受けていることがあります。4ヶ月といわれていて、実際には1~2ヶ月だったりすることも少なくありません。そうしたなかにはご家族から私たちに不信感を持たれたり、在宅にしたのがいけなかったのではとご家族自身が後悔されることもあります。

私たち医療者のためだけではなく、患者さんやご家族の安心や後悔させないために、

”症状は長く、余命は短く”

なのだと思います。

”医者はすべての十字架を背負って生きなければいけない”

母からこの言葉を教えられたのは、小生がちょうど大学を卒業して医師国家試験の直後に実家に帰っていた時でした。

彼女いわく「昔、医者は千人殺して一人前になるといわれた。いまは医学も進んだから百人殺して一人前ぐらいかもしれない。としてもがあなたの前には百本の十字架ができることになる。そのすべてを後悔と反省の念とともに一生背負って生きなくてはいけない。一本たりとも置いて行ってはいけない」と。

当時は正直いって何をいっているのかよく判りませんでしたし、その後研修医から若手医師として忙しく働いているうちに、言われたことすら忘れていました。

そんななか、ちょうど医師になって10年を過ぎようとしていた時に、ある30代の女性を助けることができなかったという経験をしました。(この話はいずれこのブログで改めて書きたいと思っていますが)外来で診察し、自分で入院させ、本人家族に話をして手術することを説得し、そして執刀。術後に合併症を起こし、全身状態が悪化、約3ヶ月頑張ったものの助けられませんでした。

確かに重症の病気でしたし、十分可能性のある術後合併症によるものでした。しかし、だから仕方がないと言えるのかと・・・ 医師として10年経って、一人前になった気になって慢心していなかったか。全力を尽くして彼女の病態を理解し、可能な限りの対応をしたのか。改善方向に向かったときに気を緩めなかったか。

こうして考えると、いろいろな反省点が見えてきました。もっとやるべきことがあったし、もっと自分に技術や知識があったら助けられたかもしれない。もっと力を尽くすべきところがあったのではないか。もちろん、そうやったからといって助けることはできなかったかもしれません。しかし、助けることもできたかもしれないのです。このとき、10年前に母から言われたこの言葉を思い出しました。

「医者はすべての十字架を背負って生きなければいけない」

 

母が見落としていた患者の胃癌を私が見つけた時、一瞬顔を歪めたものの言い訳は全くしませんでした。「あなたの病院でしっかりと手術してあげて」と言われただけでした。 彼女が背負ったその十字架は、8年前に彼女とともに荼毘に付されたはずです。

女医だった母が教えてくれたこと(はじめに)

8年ほど前に亡くなった母は、田舎町で40年ほど開業医をしていました。

母は小生が子供の頃から多分医者にしたかったのでしょう。普段は非常に口数の少ない女性でしたが、医師としての心得から開業術まで随分と話をしてくれました。まあといっても当時は何を言っているのかよく判らなかったり、興味もなく聞き流していたりしていたことがほとんどでした。

また小生は、母が38の時に生まれた子であったうえ、人より2年長く勉強してから大学に入ったので、実際に母と一緒に働いたのは、医師5~6年目のころに3年ほど週に1回外来を手伝った程度でした。その時にも母からはいろいろと教えを貰っていたものの、当時は田舎の診療所の外来などには全く興味を持っていませんでしたから、あまりありがたいとは正直思ってもいませんでした。

40を過ぎてから昔々母から聞かされていたことを思い出すことが多くなってきました。今となってみると「ああ、なるほど」と思うことが少なくなく、親は亡くなってからありがたく思える存在なのかもしれないと思う今日このごろです。本ブログではこうした母が教えてくれたことを、母本人には感謝を伝えられなかった罪滅ぼしとして皆さまにご紹介できればと思っています。