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在宅医療の看護 体験型アルバイトの実施

看護系の大学や専門学校では、訪問看護の実習はありますが、訪問診療を知る機会はあまりないようです。当院では、8月に看護学生さんにアルバイトとして訪問診療に同行してもらい、バイタルの測定や診療の補助をしてもらう、「体験型アルバイト」を実施しました。(もちろん看護師免許はありませんので、あくまでも一般職員が行う診療補助業務に限っていますが)

 

今年度は、東京医科大学看護学科の3年生に3日間に渡り計3名に来ていただきました。医師の訪問に同行して、一般居宅や施設での訪問診療を業務として体験してもらいました。

 

アルバイトしてくれた学生さんからは、「訪問看護の実習はあるが、診療はないのでいい体験ができた」「在宅医療がは患者さんやご家族との距離が、病院よりも近く感じられた」などのご意見をいただきました。

 

職員の夏休みで人手不足になることの解消になるだけではなく、在宅医療を広く知ってもらうとても良いチャンスであったと実感できました。来年も実施したいと考えています。

病気を見るな、患者を見ろ

「病気を見るな、患者を見ろ」                                                 これは多くの先人たちから常に言われる言葉ですが、本当に難しいことだとつくづく思います。 先日、ある老人ホームに入居していた90歳代後半の患者さんが白内障の手術をしてきました。施設の看護師さんやスタッフさんは「病院で視力が上がったと言われたみたいで、手術は成功したみたいです」と喜んでいる様子でした。                                                        ではとちょっと意地悪ですが質問してみました。「よく見えるようになって食事が美味しくなったですか」「テレビが見えるようになって、よく見ますか」「周りの人が見えるようになって、笑うようになりましたか」・・・・・答えは「変わりません」でした。 ある白内障の手術をしたことがあるご婦人にお話を聞いたことがあります。そのご婦人は非常に活発な方で、友だちとよく美術館に行ったり、麻雀をしたりされていたそうです。しかし、白内障になってだんだん外出をしなくなってしまいました。手術を医師に相談したこともあるそうですが、「まだ視力が0.4以上ある」と言われて経過観察となっていたそうです。いよいよ生活に支障が出るようになってから手術をされたそうです。たしかに手術をして見えるようにはなったそうですが、結局外出したり麻雀をしたりするような生活には戻られませんでした。                                                           つまり、ご高齢者は一旦生活活動範囲が小さくなってしまうと仮に病気が治ってもふたたび拡げることは難しいのだと思います。 実は以前コンサル会社にいた頃に白内障の治療について調べたことがあり、ここに大きな課題があることを知りました。と言うのは、白内障の客観的指標は視力になりがちです。しかし、視力と日常生活の活動性の範囲は必ずしも一致しないのです。 我々はつい視力など客観的指標に目が行きがちです。でも、実際に大切なことは日常生活にどう支障があるかということではないでしょうか。 人のことはついアラが見えてしまいますが、自分もどこかで同じことをしてしまっていないか・・・そんな自戒の念も込め書かせてもらいました。

生まれるも死にいくも、ひとの思いのなかにある

「人間は元来一人で生まれて 一人で死んでいくものである 」とは田山花袋の言葉だそうですが、これはまさに真実だと思います。しかし、生まれてくること、死んでいくことには、周りの多くの人の思いの中にあるのだと、最近つくづく思っています。

人が生まれるとき、確かに一人で生まれてきます。けれどもそこには両親や親族など多くの人の「思い」が存在するのではないでしょうか。                                                    そして死んでいく時も一人で逝くわけですが、そこには配偶者や子どもや友人などの多くの「思い」があるのだと思います。私たちは、生まれ方を自分で選ぶことができないように、死に方も自分の考えだけでは選べないものなのです。

在宅医療で死に行く方々を看取る時、本人の意志を尊重しながらも周りの家族の「思い」をどのように反映させるべきか、苦悩する毎日です。

人は本当に自宅で死にたいのか

私は訪問診療をやっていながら、「本当にひとは自宅で死にたいのか」という疑問を常々持っています。                                           世の中や政府が在宅に誘導する最大の理由は政府が行ったアンケート調査で6割以上の人が最期を自宅で過ごすことをのぞんでいるという結果からです。(よく在宅のほうが病院より医療費が安くなるからということをいう人がいますが、海外で在宅が進んでいる国では在宅のほうが医療費がかかるという結果がでており厚労省もそれは充分に知っています。)

 

けれども、自分自身を翻ってみて、どれだけ自宅にいたいものなのかということが実感できずにいます。一方で、こうした考えを持っていることで、患者さんへの療養方針に迷いやゆらぎがでていたのではないかと反省もしています。そして、この命題を考えた時に、こうした軸が乱れた状態をつづけていて本当に答えが出るとは思えず、もしかするとこのままでは自分が終末期になるまででないのではないかとも思われました。

 

では、どうすべきか。                                                          私の現時点での答えは、「徹底的に在宅にこだわってみる」ということだと思っています。                   「在宅では無理なんじゃないか」と思った時に、もう一度冷静になって「在宅がダメな理由はなにか」、「もっと何かをすれば在宅療養できるのではないか」ということを徹底的に考えることだと思っています。